松花堂弁当を何となく考案した人が吉兆の創始者 湯木貞一さんだと何となく
考えていましたが、
よくよく調べてみると、
今では全国的に有名で弁当の代名詞とも言える「松花堂弁当」。 さて、この松花堂弁当の起源ですが、もとはと言えば、石清水八幡宮(京都府八幡市)の社僧であった松花堂昭乗の使っていた物入れ(箱)でありました。
昭乗は近在の農家が作物の種入れなどに使っていた、田の字の形に仕切った物入れ(箱)をヒントに、絵の具箱、茶会のたばこ盆などとして、色々な用途に利用していたと伝えられています。
時代は下って昭和の初め、料亭「」の創始者が八幡を訪れた際、昭乗遺愛(松花堂好み)の四つ切箱を見て、試行錯誤のうえ懐石料理を盛り付け、弁当として世に広めたのが「松花堂弁当」の始まりです。
器は、縁を高くした四角の箱形で、かぶせ蓋があり、中は十字に仕切られており、それぞれにご飯や煮物、焼き物などを区別して盛り分けられるようになっています。
この弁当箱は十字に仕切られているところが大切で、これは食材同士の匂いや、水分が混ざらないための工夫で、機能(形)と見栄え(料理と器の取り合わせ)の良さを兼ね備えています。
松花堂昭乗は多芸多才な人でありましたが、ほんの小さなきっかけをヒントに、いろいろな用途に使えるものを考え出すというところに、繊細さと才能を感じられます。
400年近くも前に昭乗のアイデアによって、利用された器が、昭和になって有名な料理人の感性によって、お弁当箱としてよみがえり、全国的に利用されていることを考えますと、発祥の地の誇りと歴史のロマンが感じられます