
過ごしやすい最高な季節になってきましたね!
昨日かられだんではボブマーりーにはまってます!
れだんの名前の由来でもあるレダン島やたくさんの島にいくと
よく耳にするレゲエの曲!!
ほんとに島にいるような気分で仕事できました!!
レゲエ と言えばボブ・マーリー!!
さて、、、まず、この人を語らねば、レゲエを語った事にはなりません。
1970年代にジャマイカ発の「レゲエ」を世界に広めた、
レゲエの神様と言っていいでしょうね。
1974年のエリック・クラプトンの全米No1の大ヒット曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の
作者ということで、一躍脚光を浴びることとなったのが、 この ボブ・マーリーです。
ジョン・レノンは「やがてレゲエが世界を席捲するだろう」と予言しました。
それは、実現したかどうかは、分かりませんが、一国の民謡に近かったレゲエを
全世界のメジャーな音楽にしたのは、やはり、このボブ・マーリーです。
プロフィール
ボブ・マーリーは1945年ジャマイカ北部のナイン・マイルという町に、
イギリス軍人であった白人の父と、 貧しいアフリカ系ジャマイカ人を母として生まれました。
このハーフというバランス感覚が、おそらくボブ・マーリーの作る音楽や世界観に
大きな影響を与えたのだと、思っています。
ボブの歌うレゲエは、訛がきついとはいえ英語で歌われていると言うことも
全世界で、大ヒットする、大きな要因だったのでしょう。
1975年にウェイラーズの「ライブ!」が世界各国で爆発的に売れ、
ボブはレゲエの代名詞的な存在に。
ジャマイカ独特の宗教ラスタファリズムに基づいた歌詞で、国境や民族を超えた愛を説いたが、
1981年、直前まで演奏活動を続け、、1981年 36才の若さで がんで死去しました。
葬式は、国葬となり、、多くの国民が深い悲しみに包まれました。
現在、ジャマイカのキングストンには、ギターを抱えて歌う
ボブ・マーリーの銅像が建てられています。
夫人のリタは、1966年にボブと結婚。
1974年からは彼のバックコーラス隊アイ・スリーの一員として、バンドに加わった。
「日本を始め、公演で世界中を一緒に回ったわ。ステージでの一風変わったアクションは、
神聖な雰囲気に満ちていて、神の使いのようだった」と、当時を振り返る。
ボブの歌詞は、精神の解放や権利の主張など、反体制的な色彩も濃かったが、
素顔は「私が注意しないと同じ服を毎日着るほど、物事にこだわらない人。
周囲が神格化したから、時に危険人物と見られることもあったけれど、彼は愛を歌っただけ」。
代表曲「ワン・ラヴ」では「一つの愛、一つの心。団結すれば幸福になれる」と
歌われている。
リタは「英国軍人を父に、ジャマイカ貧民を母に持つ彼は、
少年時代から二つの世界に引き裂かれて悩んでいた。
だから自分のルーツを人類の起源の地と言えるアフリカに求めて、
宗教や人種を超えたメッセージを歌に込めたの」と強調する。
人類愛のメッセージを継承するため、リタはボブの名前を付けた福祉施設の設立を目指している。
「世界では民族間紛争などが絶えないけれど、あきらめてはいけない。
平和に必要なのは、お金でも武器でもなく愛。
これからも彼の思想を広めていく」と、気さくな笑顔で語った。
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